【もう“教える”のはやめた】僕が授業の主役を降りたら、子どもたちが勝手に学び始めた話
今回の相談者
名前:わかな先生
年齢:32歳
職業:中学校教諭(10年目)
くりぱち先生、こんな悩みがあります!
くりぱち先生、こんにちは。中学校で教師をしている、わかな(32歳)です。
「ここはテストに出るぞ!」と、良かれと思って一生懸命、分かりやすく説明しているつもりなのですが、生徒たちの目はどんどん虚ろになっていきます。
まるで私は舞台の上で一人芝居をしている役者で、生徒たちは退屈な劇を見ている「お客さん」。
頑張れば頑張るほど、生徒たちが受け身になっていく気がして、私の熱意が空回りしているようで辛いです。
くりぱち先生、私の授業、生徒たちに全然響いていないんです。
私が熱弁すればするほど、教室の空気がシーンと冷めていくのが分かって…。まるで、生徒たちが「お客さん」みたいなんです。
わかな先生、毎日お疲れさまです。先生が熱心だからこそ、生徒たちの反応がないと、自分の授業を全否定されたような気持ちになりますよね。そのお気持ち、よく分かります。
はい…。
でも、どうすればいいんでしょう。分かりやすく噛み砕いて、丁寧に「教えている」つもりなのに、何がダメなのか分からなくて。
もしかしたら、その問題は、わかな先生が「教えすぎている」ことに原因があるのかもしれません。
少し勇気がいるかもしれませんが、先生が「教える」という主役の座を、一度降りてみてはいかがでしょう?
主役を降りる、ですか?
そうは言っても、私が教えなければ、生徒たちは何も分からないままじゃないですか。正しい答えにたどり着けるはずがありません。それが教師の仕事ですし…。
もちろん、知識を伝えることは大切です。ですが、本当の学びは、「教えられた」時ではなく、「自ら気づいた」時にこそ、深く心に刻まれるものなんです。
これからは、わかな先生が「答え」を話すのではなく、生徒たちが自分で答えを見つけたくなるような「問い」を投げる役に徹してみるのはどうでしょう。
「問い」を投げるだけ…。
例えば、数学の問題で「この問題の解き方はね…」と教える代わりに、「この形、どうやったら面積を求められるかな?」と聞く、というようなことですか?
まさしく!素晴らしいですね。
そうやって答えが一つではない「開かれた問い」を投げかけることで、生徒たちの脳は初めて、自分の力で動き始めるんです。
うーん…理屈は分かります。
でも、そんなことをしたら、一部のできる子は発言するかもしれませんが、多くの生徒は黙ったまま置いていかれるだけな気がします。それに、すぐに解けてしまった子が手持ち無沙汰になって、逆に授業の邪魔をし始めるんじゃないかという不安もあります。
とても大切な視点ですね。
その「すぐに解けてしまった子」こそ、クラスにとって最高の「教育資源」なんですよ。
ぜひ、その子を「ミニ先生」に任命して、困っているお友達のところに助けに行ってもらいましょう。
ミニ先生、ですか。
でも、それだと教える側が優越感に浸って、教えられる側が惨めな気持ちになったりしませんか?
その懸念をなくすために、お願いする時に必ず伝えるべき、魔法の言葉があるんです。
「人に教えることは、君自身の勉強のためでもあるんだ。だから、決して答えだけを教えるんじゃなくて、ヒントを出すように助けてあげてね」と。
これは「教え合い」ではなく、お互いのための「学び合い」なのだと伝えることが大切です。
なるほど…。私が一人で全員を導くんじゃなくて、生徒同士が学び合う「場」を作る進行役になる、ということなんですね。
今まで、自分が完璧な主役でいなければと、全部自分で背負いすぎていたのかもしれません。
その通りです。
わかな先生は舞台の主役を降りるのです。そして、生徒一人ひとりが主役になれる舞台を創り出す、最高のファシリテーター(進行役)になるんですよ。
まとめ
あなたの熱心な授業が、子どもを「お客さん」にしていませんか?
教師が主役の座を降りることで、子どもたちは自ら学び始めます。
- 「答え」ではなく「質の良い問い」を投げる 教師の役割は、答えを教える「ティーチャー」から、学びを引き出す「ファシリテーター」へ。子どもたちが自分の頭で考え始めるような「問い」を投げかけ、思考のスイッチを入れてあげましょう。
- 「ミニ先生」を育て、「学び合い」を促進する 先に理解した子は、最高の「教育資源」。「ミニ先生」として他者に教えることで、教える側も教えられる側も学びが深まる「学び合い」の文化を育てましょう。
- 教師が黙れば、子どもが輝きだす 教師が頑張って説明すればするほど、子どもは受け身になります。少し勇気を出して、子どもたちに学びの主役を譲ってみましょう。あなたが黙る時間が増えるほど、子どもたちが生き生きと輝き始めます。

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